会社概要
株式会社ほくせい は、創業1972年私の父、加藤靖郎と先人の方々により、地域文化の変革、お葬儀の変化に対応しながら築き上げられました。1997年、初代から二代目の私(当時30歳)にバトンを渡されて以来、これまでに先人が培ってきたノウハウと信用を基盤とし、社会環境の変化・核家族化が進む中、お客様の“葬”にまつわる潜在的ニーズを的確に捉え『伝統儀礼を守りつつ、時代にあったお葬儀を目指して ー。』をセレモニーコンセプトに、ほくせい の葬祭サービスを構築してまいりました。そして、ほくせい は、あらゆる伝統儀礼の神髄を究めるべく、ふれ『愛』宣言を提唱し地域と一体化し、地域に欠かせない企業としてのポジショニングを確立し、社会に貢献する企業、そして社会から愛される企業を目指し、猛進してまいります。
株式会社ほくせい 代表取締役社長


会社概要
会社の名称 株式会社ほくせい
経済産業大臣認可
全日本葬祭業協同組合連合会加盟
三重県葬祭業協同組合加盟
厚生労働省認定 葬祭ディレクター技能審査
1級葬祭ディレクター
取得者 在籍 11 名
事業内容 葬祭業・法要事業・冠婚事業・貸衣装・写真事業・印刷事業・運送業・人材派遣業・贈答品事業・生花販売業・仏具販売業・式典業・貸ホール業・イベント運営、設営・福祉事業・会館設計、デザイン・人材育成事業・経営コンサル・民俗文化研究事業・リース業
代表者 加藤久智 [プロフィール]
創業 昭和47年4月
資本金 1000万円
本社所在地 〒511-0937 三重県桑名市志知865番地
電話&E-mail 0594-31-4242 Mail:info@soso.co.jp

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ほくせい前史
 先代社長 <加藤靖郎>は<加藤喜一、とら>の次男として桑名市志知に生まれる−。
加藤喜一の父<加藤喜代政>は大正元年、四日市市の上海老町から現在の桑名市志知の地に移り住み、商売を始めた。 
加藤家の先祖は 愛知の一宮出身で武士の家であったが明治の時代の廃藩置県により職を失い本家の長男の喜代政のおじのは軍人となったが次男の喜代政の父はこれからの時代は軍人よりも農業だと考えて家を出て上海老町に移り住んだ。
喜代政は、明治27年四日市上海老町の生まれ。尋常小学校卒業後、自分の母親の実家(現在の桑名市友村)の瀬古家をたどり、その親戚で製麺業を営んでいた「カネ辰」(現在の「岩谷パン」)に丁稚奉公に入る。余談ではあるが、後にこの瀬古家からマラソンランナーの瀬古利彦選手が誕生する。
大正元年、喜代政は<初枝>と結婚。初枝は岩谷家の母方の実家、多度平野家より加藤家へ嫁いだ。平野家は、多度大社の神主の家系でそのご縁もあり加藤家も代々多度大社への信仰も厚い。
結婚後、二人で、喜代政の一文字を取った「カネ政」の屋号で製粉業を始める。当時、製粉には粉を引く水車が必要だったため、川沿いの地、現在の本社の隣に移り住んだ。後に始める製麺業にもこの豊富な水の利点は活かされることになる。
製粉業は当時の時代に合って順調にいき、評判を聞きつけ、遠くは阿下喜、藤原からもはるばる買いに来たと言われる。現在のヤマモリ株式会社様も、当時はカネ政の粉を卸す、お得意様であった。
この時代の交通手段は徒歩または馬が主流であったが、喜代政は早くから自転車を購入し、自らその行動範囲を広げた。その後も自動車が発売されると村で一番に購入するなど、進取の気質はこの頃からであった。

また、人に対する御恩に報いる義理人情にも厚く、カネ政の創業当時のエピソードに以下のような話がある。 カネ政の製粉業をはじめるにあたり、丁稚奉公上がり、結婚したばかりの喜代政には創業しようにもお金がなく、苦慮した。そこで創業にあたり地元志知の松岡家が喜代政を見込んでお金を工面してくれた。喜代政は「本当にありがたい。貸して頂いたお金は必ずお返しします。」と約束する。細々ながらも製粉業は順調にいき、一年後喜代政は約束どおり借りたお金を返す。お金を返す時に貸して頂いた松岡さん夫妻を自宅に招き、夕食のご膳を準備し一年分の利息を付けてお返しした。松岡さんは、お金を貸してもかえしてもらえない事が多い中で膳まで準備して返してもらったのは初めてだったとたいそう感心したと話していた。喜代政からすれば苦しい時に助けていただきありがたかったという想いを返しただけであり、当然の事であるが、当時としては律儀な方だと評判になりカネ政の信用をより増していった。こういった考えが現在のほくせ社是である「報恩感謝」になっている 。
昭和7年頃、「カネ辰」は当時作っていたうどん・そうめん・冷麦から、パンの製造へと業種転換をした為、「カネ政」は製粉業のかたわら、製麺業も始めることになる。製麺にも町屋川水系のきれいで豊富な水は“こし”のある、おいしい麺を造るのに適していた。家の前には大きな井戸があり、ポンプで水を汲み上げていたと言われる。 喜代政・初枝は5人の子供をもうける。長男 <喜一> 、長女 <きくゑ> 、次男 <かずいち> 、三男 <昭> 。
喜代政は人一倍、働きよく遊び、お酒が好きでよく飲んだ。飲むと気分がよくなる性分だったらしく、ある仕事の帰りに酒を飲んで馬車を走らせていると巡査に呼びとめられ「荷台の荷物は盗んだものではないか?」ととがめられ、理不尽なものいいに腹を立てふてくされていると、巡査から名前は何というと尋ねられ「加藤喜代政」と答えると巡査は豊臣家の武将 加藤清正と返答したと思い、侮辱するのかと怒って喜代政を警察へ連れて行き調べたそうだ。調べた結果粉屋の商いの加藤喜代政とわかりすぐに帰されたが、近所の人は酔っ払いの喜代政が気分がよくなって巡査にいたずらをしたのかと思ったらしく、事情を聴いて後々の笑い話となった。
後に喜一、かずいちが家業を継ぎ、次第に商売も広がっていった。製麺業も軌道に乗り、自社で引く粉だけではまかえなくなり、日清製粉との取引が始まる。その後、戦前・戦中・戦後とも、着実に売上げを伸ばしていき、昭和36年、「カネ政加藤製粉・製麺工場」から「カネ政加藤製麺株式会社」設立へ。当時、従業員もかなりの人数がいたという。 この頃の主要商品は、うどん(乾麺)・冷麦・そうめん。工場も拡張し、大型機械を導入。日清製粉の「No1うどん」「No1ひやむぎ」や、すがきやの「棒ラーメン」を手がける、自社ブランドでは、そうめん「雪白髪」や、うどん「ローズうどん」の名前で販売していた。
その後、冷蔵庫などの普及により、乾麺にかわって生麺やインスタントラーメンが登場。製麺業は業種転換をしていくことになる。 昭和45年に工場閉鎖。その二年後の昭和47年に葬祭業を始める。
会社沿革
1972.4 カネ政北勢葬儀社 創業
1973 事務所兼車庫新設
1973.4 軽車両等運送事業の届け出認可
1974.6 有限会社北勢葬儀社 設立
1975 印刷業開始
1976 新倉庫竣工
1977 やすらぎ館 開館
1980.6 式典センターホクセイ開業 式典およびリース事業開始
1981 事務所竣工
1982.4 創立10周年記念式典
1985 花のホクセイ 開業
1985.9 全日本葬祭業協同組合連合会加盟
1992.4 創立20周年記念式典・記念事業開催
1993.6 株式会社北勢葬儀社 法人登記変更
1996.10 一般貨物運送事業許可(霊柩)
1996.11 セレモニーホールほくせい会館(現 愛灯館 桑名)  竣工
1997 冠婚葬祭会員システム コスモス倶楽部 開設
1997.6 株式会社北勢葬儀社から株式会社 ほくせい に法人名変更
1997.6 初代社長加藤靖郎から 2代目社長加藤久智へ交代
1998.12 ギフト事業開始
1999.11 花のホクセイ 本社並びに新店舗竣工
2000.7 葬送文化研究所開設
2000.12 株式会社高島屋法人事業本部と直接商品販売委託を開始
2000.12 ほくせい会館大安式場(現 愛灯館 大安) 竣工
2002.4 ほくせい30周年記念式典
2002.4 株式会社ほくせい 新本社社屋竣工
2004.8 ほくせい会館多度式場(現 愛灯館 多度) 竣工
2005.4 ほくせい会館東員式場(現 愛灯館 東員) 竣工
2006.5 法要事業開始
2008.6 ほくせい会館を愛灯館に名称変更
2008.6 愛灯館 桑名 リニューアルオープン
2008.7 愛灯館 阿下喜 竣工
2008.12 ISO9001 認証所得
2009.5 ファミリーホール愛灯館 桑名 オープン
2009.10 愛灯館 朝明 竣工
2010.12 愛灯館 大安新館 竣工
2011 株式会社秋桜・秋桜交通 設立
2012.6 花のホクセイワーク・センター 竣工
2012.12 エンディングサポートセンター オープン
2013.3 創立40周年を記念してゴルフコンペを開催
2013.4 コスモス通信 発刊
2013.5 エンディングスペース桑名 オープン
2014.2 エンディングスペース桑名西 オープン
2015.10 基幹システム及び会葬者芳名システムのクラウド化
2016.4 エンディングサポートセンター阿下喜 オープン


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